独特の掛け合いと温かい人柄で幅広い世代に愛されているお笑いコンビ「サンドウィッチマン」は仲良しであることでも知られています。今回は、そんなサンドウィッチマンの仲良しエピソードを中心に、結成秘話や名前の由来も調査しました。
サンドウィッチマンが仲良しエピソード紹介!
サンドウィッチマンは、舞台上だけでなく日常でも互いを思いやることで知られる仲良しコンビです。まずは、彼らの心温まるエピソードを紹介します。
お互いを思いやる気遣い
サンドウィッチマンの2人は、舞台上だけでなく日常生活でもお互いを思いやる姿勢が目立ちます。富澤たけしさんは偏食で苦手な食べ物があり、特に魚介類を避けることが多いですが、伊達みきおさんはおいしい店を見つけると必ず「富澤にも食べさせたい」と分け合うのが習慣になっています。
こうした小さな気遣いが、長年のコンビ関係を支える大きな要素になっているのでしょう。さらに、互いの健康や体調を常に気にかけている姿も、彼らの温かい絆を象徴しています。
小さな気配りが日常に
富澤たけしさんは普段から荷物が多く、充電器や小物を余分に持ち歩くことがあります。その理由は、伊達みきおさんが必要なものを忘れた時にすぐ貸せるようにするためだそうです。
舞台での漫才やコンビの安定感も、この日常的な細かい配慮から生まれています。お互いを思いやるこうした行動が、コンビとしての信頼感と安心感を築き、長年にわたる安定したパフォーマンスに繋がっているのでしょう。
さらに、共演者やスタッフへの気遣いも忘れない姿が、周囲からの信頼にも繋がっています。
家族ぐるみの仲の良さ
プライベートでも仲の良さは顕著で、子供を連れて一緒に遊びに行くこともあります。富澤たけしさんの子供を伊達みきおさんが見守り、伊達みきおさんの子供を富澤たけしさんが世話するなど、家族同士のような距離感があるようです。
さらに、奥さん同士の信頼関係も厚く、富澤たけしさんの奥さんの出産時に伊達みきおさんの奥さんが立ち会ったというエピソードも有名ですね。こうした家族ぐるみの繋がりが、コンビとしての絆をより深め、互いに安心して仕事に集中できる環境を作っています。
お互いの好きな部分を言い合える
伊達みきおさんは、富澤たけしさんの「どんな時も責任を持ってネタに向き合う真面目さとプロ意識」を高く評価しており、それがあるから安心して舞台に立てると語っています。一方、富澤たけしさんは「自分のボケを最大限生かしてくれる唯一の相方」として伊達みきおさんを信頼。
漫才だけでなくプライベートでもお互いを信頼し、自分を出せる安心感が、長年に渡る深いコンビの絆を支えているのでしょう。お互いの好きな部分を言い合えることはとても素敵なことですね。
サンドウィッチマンの結成秘話
サンドウィッチマンの結成秘話は、仙台での出会いや葛藤、下積み時代の苦労を経て固まった絆の物語です。ここでは、互いを信じ支え合った軌跡を紹介します。
高校ラグビー部での出会い
富澤たけしさんと伊達みきおさんは、高校時代に同じラグビー部で出会いました。互いの第一印象について、伊達みきおさんは「同じような体型のヤツがいるな」、富澤たけしさんは「目の可愛いヤツがいるな」と振り返っています。
この部活仲間としての繋がりが、後のコンビ結成の土台となりました。
コンビ結成の申し出と葛藤
高校卒業後、伊達みきおさんは営業職として別の道を歩み始めます。その頃、富澤たけしさんは「一緒に芸人としてやろう」と何度も誘っていましたが、伊達みきおさんは「俺はいいよ、そんなのできないよ」と断り続けたそうです。
それでも3年にわたる粘り強い誘いの末、伊達みきおさんはある出来事をきっかけに心境が変わったといいます。それは大好きだった祖父が亡くなったことでした。「人って死ぬんだな。もっと好きなことをやらないといけない」という思いになり、芸人としての道を選ぶ決断を下したのです。
上京・下積み生活と苦悩の日々
2人は24歳で上京。芸人としての生活をスタートさせましたが、最初の時期は厳しいものでした。小さな事務所に所属し、自分たちでライブを探す日々。チケットを自腹で買って、それをお客に売る、それでも売れなければ赤字というそれが当たり前のどん底時代でした。
そんな中、気づけば6年近く経過。30歳を前に、精神的にも金銭的にも追い詰められ、富澤たけしさんは「もうやめよう」と解散を考えるほどになっていくのです。
あきらめずに踏みとどまった決断
しかし、伊達みきおさんは「あと1年だけ、一生懸命やってみよう」と説得。「それでもダメなら辞めよう」という約束のもと、コンビを続ける決意を固めました。伊達みきおさん自身「あいつが自殺するかもしれないと思った」と語るほど追い込まれていた富澤たけしさんを、どうしても見捨てられなかったのです。
この「あいつのためなら頑張れる」という思いが、2人の絆を再び支え、ネタ作りと舞台を続ける力になったのでした。
運命の転機と敗者復活からの成功
そんな苦しい時代を乗り越えた後、2005年に地上波番組出演の機会が訪れます。これをきっかけに注目を集め始めた彼らは、やがて大きな目標に挑むことに。それは2007年の M-1グランプリでした。
敗者復活からの決勝進出という稀有な道を経て、ついに栄冠を手にします。その瞬間、伊達みきおさんは「コンビの夢は辞めないことだ」と語り、富澤たけしさんも「ひとりはできない」と涙ながらにコンビの重みを語りました。
「サンドウィッチマン」という名前の由来は?
「サンドウィッチマン」という名前は、もともとトリオだった頃に由来します。伊達みきおさんと富澤たけしさんの2人ががっしり体型で、もう一人の細身のメンバーを挟むとまるでサンドウィッチのように見えたことから命名されました。
また、3人組という構成を意識したネーミング候補の一つでもあったのです。後にトリオは解散しましたが、親しみやすく覚えやすい名前として、コンビになった現在もそのまま使用され、ファンからも親しまれ続けています。
最後に
今回は、サンドウィッチマンの仲良しエピソードや結成秘話、名前の由来を調査しました。サンドウィッチマンの魅力は、舞台上の絶妙な掛け合いだけでなく、互いを思いやる日常や下積み時代の絆にも支えられています。
二人の深い信頼関係と仲の良さ、そして長年愛され続ける理由がより鮮明に伝わってきますね。

